私の旅遍歴1 [旅]
昨日、妄想の中で旅に出ることを考えていたら、過去の旅が無性に懐かしくなったり、新しい所へ旅に出たくなりました。ここで、今までの私の旅遍歴をまとめておこうと思います。
大学3回生の2月、初めて海外に行きました。目的地はイタリア・スペイン・フランスです。大学の生協が主催している旅行で、「ヨーロッパ歴史と芸術の旅」と名打たれている旅行でした。学生と教授しか参加しておらず、美術館を巡ったりすることを中心に考えてくれている旅行なので、パッケージとはいえ、ゆっくり美術館を周ることができました。しかし問題がひとつありました。私はバティカンのシスティーナ礼拝堂で、ミケランジェロの天井画を見るために参加したようなものでした。最初に着いたローマの空港でお茶をしていたら、なんとローマ滞在期間、バティカン美術館は休館しているため、私の本来の目的が達成されないのです。私は大声で言いました。「え~!!私ミケランジェロのためにこのツアーに参加したのに!!」そう言って落ち込んでいる私をかわいそうに思ったのか、生協の添乗員のNさんが、企画してくれたのです。特別オプショナルツアーを!ツアー一行が月曜日の朝にバスでフィレンツェに向かうところ、希望者だけ午前中にバティカン美術館に行き、その後電車でフィレンツェに向かうという企画を!ありがとうNさん!あなたのおかげで、私は愛しのミケランジェロに会うことができました。ローマでは、コロッセオ、フォロロマーノなどの遺跡を見学し、ローマ時代の雰囲気を満喫しました。サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会では、ミケランジェロの彫刻「モーゼ」と会うことができました。そして何よりバティカン!


バティカン美術館入り口 ミケランジェロのモーゼ
サン・ピエトロ大寺院の中で、ミケランジェロの「涙のピエタ」を見て、その荘厳さに息を呑みました。そしてシスティーナ礼拝堂。まだ「最後の審判」が修復の途中でしたが、天井画は全て見ることができました。やっぱり素晴らしかった。サンピエトロ寺院の上にも登り、ローマの街を眺めました。この風景は、ずっと変わっていないんじゃないかという錯覚をおぼえました。そしてBAR(バール)の楽しさを覚えました。美術館を周るのに疲れたら、BARでカプチーノを飲んでいました。夜はカンツォーネを楽しみました。そして電車で快適にフィレンツェへ。マリノ・マリーニ美術館、アカデミア美術館、バルジェッロ国立博物館、ドゥオーモ付属美術館、ウフィツィ美術館、メディチ家礼拝堂などを巡りました。一番行きたかったのはメディチ家礼拝堂。ミケランジェロの彫刻が6体もあるからです。ロレンツォ・メディチとジュリアーノ・メディチのお墓なんですが、ひとつのお墓に3体の彫刻が設けられています。なんて贅沢!当然フィレンツェでもドゥオーモの横の鐘楼に登りました。馬鹿と煙は高い所が好きなんです。そして、ジプシーにからまれました。アカデミア美術館で並んでいる時に、一緒に移動していた先輩Oさんのウェストバッグのファスナーが開いていて(ジプシーの子どもに開けられたんですね)、財布が地面に落ちていたのを、間一髪で後ろに並んでいたお兄ちゃんが拾ってくれて、事なきをえました。少し怖い思いをした後は、ミラノへ。スフォルツァ城で、ミケランジェロの遺作「ロンダニーニのピエタ」を見ました。ミラノでもドゥオーモに登りました。そして一路バルセロナへ。この移動はアリタリア航空を使ったのですが、この航空会社最低!もう絶対に乗りません。スッチーはつっけんどんで、英語がしゃべれるのかどうかあやしいし、機内食に出た生肉が臭いし、おてふきがまるで香水に浸けたんじゃないかというくらいきつい臭いだし。かなり苦痛なフライトでした。バルセロナは、ちょうどバルセロナオリンピックの後だったので、オリンピックのために無理して治安を良くした反動で、怖いのなんのって・・・。お昼でも一人で歩くなと言われました。ですので、美術科みんなでピカソ美術館、ミロ美術館を周りました。サグラダ・ファミリアでは、教会内の彫刻を担当している外尾さん(ダバダーのネスカフェのコマーシャルで、「外尾悦郎は知っている」と言われていた人です。)に会い、ガウディが何を考えて設計したのかを聞かせていただきました。当然サグラダ・ファミリアにも登りました。そしてグエル公園、カサ・ミラ、カサ・バトリョと、バルセロナの街中に普通になじんでいるガウディの建築物を見て、その不思議な雰囲気を楽しみました。夜はフラメンコを楽しみました。そしてパリへ。パリではルーヴル美術館で「モナ=リザ」「サモトラケのニケ」「ミロのヴィーナス」など、有名どころを急いで見ました。だって広いんですもん、ルーヴルって。そしてオルセー美術館で印象派の絵画を堪能しました。教科書に載っている作品ばっかりでした。オランジュリー美術館ではモネの「睡蓮」の部屋に感動しました。円形の部屋の周囲に「睡蓮」がかけてあり、中央にいるとまるでモネの睡蓮の庭にいるような感覚でした。ノートルダム寺院に行ったり、のみの市にも行き、お買い物を楽しみ、夜はオペラとリドを楽しみました。帰る時には、あっちこっちの美術館で買った本が重くって、スーツケースが持ち上がりませんでした・・・。
次の旅は、大学4回生の夏。原チャリで北海道に行った旅です。周囲の人に、「俺ならママチャリで行く方がマシ。原チャリで行くなんてアホだ。」とまで言われたのですが、私はヤマハJOG50ccで一路舞鶴へ。舞鶴から新日本海フェリーに乗り、快適な船旅を過ごしました。小樽に着いてからは、そのまま日本海沿いのオロロンラインを北上しました。原チャリのエンジンはすぐに焼け付いてしまうので、「2時間走ったら1時間休憩」という鉄の掟を守りながら、40キロで走り続けました。ピースしながら追い抜かしていくライダーをうらやましく思いながら、ガソリンを入れた時にもらったホクレン(北海道のGS)の旗をはためかせてはしりました。2ストオイルとガソリンをメットインの中に入れ、ひたすら増毛まで走りました。一泊目は「増毛YH」。滝川で一面のひまわり畑を見て、2泊目旭川へ。旭川から美瑛に抜けました。美瑛で丘の景色を見て、とほ宿「おかせんり」に泊まりました。ここでは、私と同じように原チャリで来たものの、狩勝峠を原チャリで越えたためにエンジンがいかれてしまい、修理に出して身動きのとれない女の子と友達になりました。富良野では、北の国からフリークの私が絶対に行きたかった麓郷に行きました。もともと、なぜ北海道に行ったのかって、それはこの年「北の国から」の放送があった年なんですね。私テレビシリーズから全てビデオに撮っていて、台詞まで覚えている「北の国から」フリークなんです。五郎の家を見に行ったのですが、何より良かったのは、八幡丘の道(草太兄ちゃんが死んだ道ですね)。この道は、観光地から一本奥に入った道なのですが、純とレイちゃんが雨宿りした丘の家とか、純と蛍の小学校がある道です。人も少ないし、とても美しい道です。おすすめ!そしてその日もとほ宿に泊まったのですが、廃校になった小学校を改装していて、とてもよかった。ここで一緒になった、愛媛から来ている自衛隊の御主人と奥様と仲よくなりました。この夏、北海道はかつてないほど暑くって、私の二の腕には、肩から肘にかけて大きなひとつの水ぶくれができていたんです。小さな水ぶくれが合体して、大きな水ぶくれになってしまったんです。そう、日焼けというより火傷の状態でした。病院に行き、この奥様に薬をぬっていただきました。そして、ここのヘルパーの男の子と仲よくなって、朝までしゃべっていました。ずっとここにいたい感覚になりましたが、次の日は小樽で宿をとっていたため、仕方なく泣く泣く出発しました。次の日積丹まで足をのばしました。カムイ岬まで行ったのですが、あのトンネル事故のあったトンネル(私が行った時は事故の前です)も通りました。その日は小樽天狗山YHで一泊し、次の日フェリーで舞鶴に戻りました。小樽の天狗山を登った時に少し焦げたような臭いがしたり、旭川で朝エンジンがかからなかったりと、アクシデントはありましたが、ガス欠することもなく、無事に帰ってくることができました。その後半年をもたず、この原チャリはおだぶつ。やっぱり無理させちゃったんですね・・・。
次の旅はいよいよ、ちくりんとしょちょうとむーたろうとてんちゃんに出会う旅です。つづく・・・。







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