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私の旅遍歴2 [旅]

 「私の旅遍歴1」の続きです。次の旅は、大学4回生の冬、卒業旅行と称して、中学校高校と同じ学校で、教育実習の時に再会して以来、急激に親交を深めたTさんこと、うなぎいぬ2号さん(私はうなぎいぬ1号です。旅行の時に、おそろいのうなぎいぬのTシャツを着ていたため、岩尾別のヘルパーのGさんにつけられたニックネームです。)と一緒に北海道に行きました。

 この旅行前、私たち何度も打ち合わせをし、ものすごく楽しみに企画し、個人旅行なのにしおりまで作っていました。旅のテーマは「冬の北海道体力勝負編」。いつも同様、舞鶴から新日本海フェリーで小樽まで。夏と違い冬の日本海は過酷です。揺れるのなんのって、廊下を歩く時には真っ直ぐ歩けずに左右の壁にぶち当たりながら歩きます。しかし、2等の安さには変えられません。当時6000円くらいで小樽まで行けたような気がします。旅行の最初からずっとビデオをまわしており、まさに珍道中!関西女二人の漫才旅行でした。小樽に朝の5:00くらいに着くというのにさっそく市場まで行き、元気に海鮮丼を食べました。その後特急で網走へ。網走刑務所に行き、流氷砕氷船に乗り、屈斜路原野YGHへ行きました。あの事故があって以来、どうなっているのかわかりませんが、当時このYGHは予約をとるのに苦労するくらい人気のYHでした。関西人の中島みゆきファンのペアレントさんがとてもいい人で、そのペアレントさんが板前として作ってくれる夕食が、YHとは思えないほど豪華で、とってもおいしかったんです。朝は全面凍結した屈斜路湖の上を氷上散歩したり、摩周湖を見に行ったり、夜は露天風呂に行ったり、クロスカントリースキーをしたのもここが初めてでした。普通のスキー経験者の私も、クロスカントリースキーは難しく、間違いなく初日は500回くらいこけたと思います。体力勝負第1本目でした。2本目は、小清水YHでの氷上運動会。凍結したトーフツ湖の上で、バレーボールしたり、障害物競走したり、チームを組んで戦いました。ちくりんもこの運動会に参加していたようですが、違うチームだったし、お互い話すこともないまま別れていきます。そして体力勝負3本目が、目玉です。冬の岩尾別YH耐寒ツアー2泊3日。冬季は閉鎖されていた岩尾別YH。この年は、期間限定で冬の営業をしていたのです。このYH、秘境という言葉がまさにぴったりな宿で、ガスはプロパン、電気は自家発電、テレビの地上波は入らないという国立公園の中にある宿なのです。当然バスも通らないので、YHの車でウトロまで迎えにきてもらいます。迎えに来てもらって車に乗り込んだのですが、一緒にツアーに参加しているメンバーは、私たち2人とおじさん3人。今まで若者がいっぱいいてにぎやかだった小清水に比べて、なんだかつまんないように感じ、小清水に帰りたいと思っていたんです。この時は!事実、小清水→岩尾別→小清水という予約をとっていましたし。でもその気持ちは一瞬で変わります。その日岩尾別海岸まで流氷を拾いに行きました。網走で見た流氷とは比べ物にならないくらい綺麗な流氷。流氷って青色だったんですね。やっぱり網走の海は汚れているんです。それに比べて知床の海の綺麗なこと!感動しました。帰ってきて夕食を食べ、人生初のミーティングに参加。ミーティングというと、一緒に泊まっている人達とお話をして交友を深めるのかと思いきや、ここではまったく違っていたんです。北海道のYHにおけるミーティングとは・・・歌って踊ること!!ペアレントがギターを弾き、ヘルパーが場を盛り上げ、旅の歌を歌い、踊りを踊るのです。岩尾別の踊りは、「岬めぐり」と「落陽」。振付も決まっていて、毎日ヘルパーから指導を受けます。私たちも、最初は恥ずかしかったものの、そのうち率先して踊りくるっている自分がいたんです。あの閉鎖された空間がそうさせるのか、はたまたそこにいる人がそうさせるのかはわからないのですが、すっかりなじむのに時間はかかりませんでした。次の日は、クロスカントリースキーで原野をまわったり、同じくクロスカントリースキーで冬は行けない「ホテル地のはて」の岩尾別温泉に行きました。雪に埋もれた温泉、しかも誰も来ない温泉、入る前は寒かったけど、雪の中水着で入る温泉は格別でした。そして最終日。その前の夜から私たちは帰りたくないと考えていました。この後は小清水に一泊してから電車で小樽に行き、小樽で一泊してフェリーで帰らないといけないのです。絶対帰らないといけないのです。なぜなら大学の卒業式があるから。そこで私たちは考えました。小清水には義理があるから一度行かなくてはいけないけど、その後岩尾別に戻ってこよう!フェリーをキャンセルして飛行機で帰れば、あと2日岩尾別に泊まれるじゃないか!お金のない大学生が、飛行機代38000円を出してまで、戻りたいと思った訳ですから、私たちの思い入れの強さをわかってもらえると思います。そんな決心をしながら耐寒ツアー最終日を迎えたんです。最終日はクロスカントリースキーで、凍るフレペの滝へ行くツアー。流れる水がその形のまま凍ったフレペの滝もきれいだったけど、開けたところから見る知床連山がとても美しかった。知床連山は、緯度の高い所にあるため一面真っ白に雪化粧をしていて、夕焼けのピンクを映したり時刻によって見え方が変わるんです。それがとても美しく、私はこの山が大好きになりました。夏に来て絶対登ってやると思いました。そして宿を出る時車で送ってもらうのですが、ヘルパー(バイト従業員)とホステラー(お客さん)が宿の前で旗を振って見送ってくれるんですね。「いってらっしゃ~い!」と大声で叫んで手を振ってくれるみんなに、私は号泣しました。帰りたくないと本気で考えました。旅行中に聞いた話で、YHに泊まっている間に帰りたくなくなって、FAXで辞表を出した人がいる、というのがあるんですが、まさかそんなのあるわけないでしょ!?ただの旅行なんだから・・・と思っていましたが、多分その話は真実です。私もそんな気持ちになりました。泣きながら「いってきま~す!」と、車から顔を出して叫んだような気がします。そして小清水で一泊した後、私たちはまた斜里バスに乗って岩尾別にやってきたのです。バカですよね。片道2000円くらいする斜里バス。値段も高いが、スピード違反の切符をきられたことがあるとか、警察のヘリに追いかけられたところを見たとか、まことしやかにスピード狂の噂高い斜里バスに揺られて、私たちは岩尾別に帰ってきたのです。小清水にはちくりんが泊まっており、一緒に岩尾別に向かったような気がします。ちくりんは運動会の後、まだ小清水にいて、同じ日に岩尾別に行くことになったのです。途中斜里で、噂のトマト卵ラーメンなるものに舌鼓をうち、岩尾別に帰ってきました。その時には新しいメンバーが増えていました。ちょうど、私たちが一度目の帰還の際にウトロに送ってもらった時に入れ替わりで岩尾別に入ったのが、しょちょうたちだったと思います。私たちが岩尾別に戻り、この時メンバーがそろいました。ちくりん、しょちょう、むーたろう、てんちゃん、姉さん、1号、2号、運命の出会いです。この時まさかこの人たちとこんなに長い間つきあっていくとは考えてもいません。まさにその夜はダイヤモンドナイト!歌って踊り狂いました。こうして私たちは閉所までの3日間を突っ走っていくのです。次の日はクロスカントリースキーで知床峠まで行きました。午前中をかけて15KMほどの道のりを登り、国後島を見ながらお弁当を食べ、帰りは15KMのダウンヒル!冬は閉鎖されている知床横断道路を颯爽と駆け抜けた時の爽快感、また自力で登ったからこそ見れる景色の美しさが印象的でした。その夜も恒例のミーティング。次の日は、知床五湖近辺の流氷が真下に見える断崖までクロスカントリースキー。夕日に染まる一面の流氷はとても美しく、忘れられないものになりました。そしてその夜は最後の夜。閉所パーティーです。最後の夜だから、みんなで歌い、踊り、旅の思い出に涙しました。旅の歌は、なんて情緒があり、しみじみとさせるものなのでしょうか。旅の良さを改めて実感しました。そして私たちは5月GWの開所パーティーで再会することを約束して、次の日岩尾別を去るのです。その時も見送ってくれるヘルパーの声と姿に、本気で泣きました。帰りたくない・・・本気で思いました。目を真っ赤にしながらウトロ→斜里→網走→女満別と移動をしました。飛行場で、忘れもしません。今まで隔離生活を送っていたために、世の中の出来事が何もわからなかった私たちの目に、衝撃的なテレビ映像が映りました。そう、地下鉄サリン事件。私たちが浮世を忘れて踊り狂っている間に、こんなに大きな事件が起こっていたなんて・・・。最後にそんな印象が残った冬の旅でした。

 次のGWの開所パーティーでの再会の話はまた今度。つづく・・・。

 


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